昨年5月に出版させていただいた本(専門キャリアカウンセラーが教える これからの発達障害者「雇用」)の中で、発達障害者はスーパーカーに似ているという表現をしたところ、かなりの反響をいただきました。
好意的なものでは、「みんながみんなスーパーカーではないかもしれませんが、異能を活かすという視点はこれからの企業経営において、とても必要な視点だと思います」というコメントがあり、それこそ筆者の言いたかったことなので、とても意を強くしたのに対し、批判的なものでは、特にグレーゾーンの発達障害者から、「自分に他人より優れている点など、どこにもない」「メディア等の影響で、発達障害者と言えば、すぐトム・クルーズやビル・ゲイツと同じと思われるのは迷惑だ」というものもありました。
なるほど、そう思われるのかもしれません。
しかし、発達障害者に様々なタイプや特性を持った人がおられるように、実は、スーパーカーだって、いろいろな状態の車があるのです。
ちなみに、広辞苑では、スーパーカーを「高出力・高性能で特徴的なデザインのスポーツカー」と説明していますが、その意味内容は漠然としていて、スーパーカーとそうでない車の間の線引きが明確にあるわけではありません。
また、スーパーカーは、高出力・高性能を追及した結果、エンジンを優先した設計になっているので、ラゲッジスペースが狭く物が積めない、手作りの少量生産ゆえ工数が多く、メインテナンス一つ取っても時間も手間もお金もかかる、そして、忘れてはならないのは、スーパーカーはスポーツカーの一種(かつ、かなり特異的なデザイン)なので、日ごろ乗り回すには向いていません。
その割には、定期的に乗らないと、始動性が悪く、エンジンをかけるのにコツがあるので苦労する、高速域の制動性重視で高温に達しないとブレーキの利きが悪い、居住性が悪い、エアコン・オーディオはついていない、等々、欠点も非常に多い車です。
どうでしょう、これを読んでおられる当事者の皆さん、あなたはスーパーカーに似ていませんか?
グレーゾーンの皆さん、まだエンジンのかけ方すら分からず、始動したことがないのではありませんか?
未整備のままに年月を経て、最初は「super(スーパー)」であったのに一般化し、よくある車になってしまったのではないでしょうか?
しかし、まだまだ、ガッカリするには早過ぎます。 皆さんは並の車(定型発達者)とは違うのです。
クローズで就活して、定型発達者との競争に勝って就労した人は、「super」を見せなくても、それだけの力を発揮することが出来たではありませんか!?
実は、「super」は「異能」が尋常になく発達した状態を言います。 そう、その意味では、トム・クルーズやビル・ゲイツに近いかも。
私は、例え「super」でなくても、発達障害者には定型発達者にはない「異能(特別な力)」が必ずあると思っています。
もし、それが見つからないのだとしたら、今は、定型発達者(健常者)中心の社会で、その「異能」が埋もれてしまっているからです。
しかし、AIとの兼ね合い等で、必ずや近い将来、定型発達者にはついて行けない次元・ジャンルでの「異能」が必要となります。
そのために、今できないことにばかり目を留めて、ガッカリしたり、委縮しないで、自分の異能は何なのか、発見する努力をする方が遙かに建設的だと思います。
そのためには、なるべく早く、企業に対して物を申せる、信頼できる支援者と繋がることです。
※ 今回のコラムは、書籍「これからの発達障害者「雇用」: 専門キャリアカウンセラーが教える」からこぼれた、貴重なお話となります。ぜひ、本編もお楽しみください!
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